「岡潔先生と語る」 (1)- 東洋と西洋の融合 -
【9】 第一の心と神
(男性)愚問かもしれませんけれども、例えば私自身が何かを見たいとか、現在僕は成長しているとか、大きくなりつつあるとか、その意識がありますけれども、例えば竹とか松とかは、植物なんかはそういう意識があると考えられるでしょうか。
(岡)それは第一の心、意識は第一の心。植物にありません。意識しません。
(男性)植物に無いと致しますと、例えば大宇宙にしましても・・・
(岡)意識は無いけれども松は松であり、竹は竹であるんですね。意識いらない。
(男性)これは直観的で根拠が無いんですけれども、物質の世界にしましても宇宙にしましても、もろもろの生誕とか滅亡ということがあります。何か力のバランスと云うんでしょうか、例えば星間物質から宇宙が形作られたという場合でも、万有引力とか何とかいう形で一つの秩序の安定化がどうしても生まれて来ますけれども・・・
(岡)実在するものは第二の心だけだと仏教は教えてるんです。その第二の心の中には時間も空間も無いと教えてるんです。だから力というものは実在ではない訳ですね。仮象。
(男性)科学の面からみましてですね、物質の力が作用してきて、安定化が得られているように思えるのですけれども・・・
(岡)科学は間違ってるんですよ。総て欧米人は、力の強いものが偉いと思ってる!
が、力の強いものが偉いという思想は、ギリシャ神話なんか力の強いものが神だと云ってる。力の強いものが偉いという思想は、野獣の思想ですね。力のバランスなどという言葉はいけません。
(男性)物質にしましても植物にしましても、一つの秩序があってそれが現に存在しているし、将来もずっと僕は存在すると思うんですけれども・・・
(岡)ええ、そう思います。
(男性)その第一の心と云うんですか・・・
(岡)第一の心が邪魔する。
(男性)それがありますから、僕は必ず滅亡すると思う。と云うのは、人類三十億の人間のうちで、何人がその第二の心を主として、第一の心と調和を保ちながら・・・
(岡)そりゃ人だけだったら滅亡するでしょうけど、神々というものが無量に居るでしょう。
(男性)そういうふうに理解するというか、悟る人間があまりにも少ないような気がするんですけれども。
(岡)悟る必要はありませんよ。松は意識しないが自ずから松である、竹は意識しないが自ずから竹でしょう。人は馬鹿だけれども自ずから人ですよ!
やっぱり人本然の心は、他が喜んでおれば嬉しく、他()が悲しんでおれば悲しい。神々が心の底から働きかけるからです。これを仏教では平等性智って云うんですけど。馬鹿なことも随分しますが、根底はそれほど見捨てたものでもない。
(男性)それほど人間を信頼なさいますか。
(岡)信頼してやせんから滅びそうに思う。憎みません。
(男性)その心がある限り、滅亡っていうのは、僕は確実に予知出来るような気がするんですけれど。その憎むとか・・・
(岡)憎むという、そういう心有りますよ、有りますが上っ面でしょう。だから必ずしも滅亡するとは限らない。
真の自分というものは時間、空間を超越している。だからして宇宙というものを超越している。だから滅亡すると云ったところで、それはこの地球上に居なくなるというだけの意味です。だから神々は、これはもう一度星を変えた方がよいと判断するかもしれない。そうすると地球上では滅亡するかもしれない。しかしそれは単に星を変えるというだけですよ。
神々は、宇宙の大意志は、昔星雲というものがあったでしょう、これが向上して太陽系になった。その太陽系に一つの惑星があったでしょう。それが向上して地球になった。どういう意味かと云えば、ある日その惑星の表面に一匹の単細胞生物が現われたという意味です。その惑星は地球ですね。それ以後、その単細胞生物が向上して人になったでしょう。この経歴を振り返ってみますと、我々の住んでいる世界には、一大意志力が働き続けてるということは否定出来ないでしょう。これがずっと働き続ける訳です。その一大意志力は、もうこの辺で地球からほかの星に移した方がよいと判断するかもしれない。そうすると人類は地球上じゃ滅亡するという訳です。しかし一大意志力が働き続けてるでしょう。これ、否定出来ないでしょう。そうするとそう軽々に滅亡するとも云えない。
(男性)よく考えてみます。
(岡)ええ。人力じゃ滅亡しますよ。
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