「岡の大脳生理」
【3】独創とは何か
紫の火花 1963年11月
いつも言うことであるが、時実さんの『脳の話』によると、大脳側頭葉は記憶、判断を司り、大脳前頭葉は感情、意欲、創造を司るとある。この創造とは何かということである。このことだけから、いち早くこういう示唆をうけるであろう。創造とは記憶や側頭葉的(類型的)判断とは別のものであって、感情、意欲を離れては無いものである。
自然以外に心というものがある。これについても一度言ったのであるが、もう一度繰返して言おうと思う。この繰返すということを今日の編集者はきらう癖がある。読者の心を忖度(そんたく)してのことであろう。しかし「それならもう一度聞いたから」という聞き方ばかりすると、側頭葉的(羅列的)になってしまって、総合像はかけてゆかない。この総合像を描く画布が前頭葉なのである。まずここをくわしく説明しておこう。
前に小さな子供 についてよく観察しておいた。それを思い出そう。子供は生まれて8ヵ月もすれば順序数がわかる。にもかかわらず、それからさらに8ヵ月もしなければ、自然数の「1」がわからない。これはなぜであろう。時実さんの本によって側頭葉の働きを少しくわしく見ると、知覚、認識等とある。順序数は知覚と認識とができればわかる。だから、順序数の本体は側頭葉でわかるのである。
しかし、自然数はそうはゆかないらしい。自然数の「1」の 本体が始めてわかるころの子供のありさまを思い出してみると、一時に一事を厳密に実行する、いろいろな全身的な運動を繰り返し、繰り返し行う。どうもこうすることによって、大脳前頭葉がだんだん形づくられてゆくもののように思われる。そう言えば、この子は上機嫌なたちの子なのだが、それまで「ほたほた」笑っていたのが、この時期を境にして「にこにこ」笑うようになった。自分というものが出来てきたのである。自然数は大脳前頭葉によってでなければわからないのだと思う。前頭葉の働きの1つの創造というのは、その基本は、ここに総合像を描くということだと思う。
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