okakiyoshi-800i.jpeg
ohono-041s.jpeg
2013.7.27up

岡潔講演録(7)


「岡の大脳生理」

【6】アメリカ式教育をおそれる

一葉舟 1967年2月

 私は近ごろ京都へいって、財界の方々とひざを交えて話し、今日日本で行われているアメリカ式教育が財界の要望によるものであることを知った。それまでは進駐軍が強いた野蛮な教育が残っているのだと思っていたのである。それで事態の重大なのに驚いて深く思いを潜めた。主題は時実先生のいわれた「前頭葉不在とは何であろう」。

 私は2月8日の夕方京都から奈良へ帰ってきたのであるが、それから9日の夜まで深沈として考え込んだ。私の眼前にはいろいろな図が詳細に現われた。私はそれを見ながら考え進めていった。

 まだ充分わからないが、これはどうもたいへんなことらしい。実に心配だし、それより深くはなかなかわからないし、とうとう精も根も尽きて寝てしまった。9日の夜である。

 すぐ目覚めて紙きれを捜した。こちらの部屋を捜したが無い。あちらの部屋をあけても無い。それではあれは一種の夢だったのかなあ、どうか夢であってくれと思った。それで荒筋をたどってみた。もはや詳細は再現すべくもないが、荒筋ならばたどれる。厳然たる事実である。

 私は真青になった。日本の現状がこれならば日本は生存し続けられそうもないと思ったのである。そして吐気をもよおして便所へいったが、別に何も吐かなかった。以前ならば血を吐いたであろう。(私は胃カイヨウをして胃を五分の四切ったのである。残っているところはそう簡単には穴があかない)そしてなんだろうと思って起きてきた妻に助けられて寝床へはいった。

 翌日は10日であるがお昼過ぎまで寝た。私は全く別の世界へきたような気がして何がなんだかよくわからなかった。

(※解説7)

 ここは岡の当時の心境を如実に物語っているところです。当時日本は高度経済成長時代の真只中で、バラ色の夢をみて誰もが浮かれていたのですが、一人岡だけは日本の未来を見据え、このような壮絶な心境の只中にいたのです。

 「こんなことをしていると今に酷い目に会いますよ!!」が当時の岡の口癖でしたが、我々はまさに今それを追体験しているのです。見ようとしなくても見えてしまう大天才の、孤独と絶望感がそこにある。岡の晩年の20年は、こういう心境の連続であったといっても過言ではないのです。

  秒針や戸に荒れまさる風の春  岡潔

Back Next


岡潔講演録(7)topへ


岡潔講演録 topへ