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2013.7.27up

岡潔講演録(7)


「岡の大脳生理」

【11】人とは何か

曙 1969年4月

 この第2の心は大脳の何処に宿っているのだろう。

 大脳生理学は大脳を5つの部分に分かっている。

 頂上が頭頂葉。

 頭頂葉を前に少し下ると運動領、更に下ると前頭葉、これは丁度前額の裏である。

 頭頂葉を後ろに下りると後頭葉、横に廻って側頭葉、これは左右2つあるが、連絡がついているから1つの様なものである。更に前に廻ると再び前頭葉である。

 第2の心はこの何処に宿っているのだろう。

 前頭葉は第1の心の宿る所である。だからここではない。

 運動領は全身の運動を司る所である。ここでもない。

 後頭葉は「資料室」だという。例えば小林秀雄さんは、ここで選り抜きの出土品の曲玉にじっと眺め入るのである。そうするとその時受ける感銘を奏でる第2の心はここには宿れない。

 残りは頭頂葉だけであるが、大脳生理学はここは「受入態勢」の由って来る所だと言っている。ここに宿る(第2の)無私の心がメロディーを奏でるから、第1の心はこれをつぶさにレシーブして、出処進退を決めるのである。それでよい。此処である。

 黄老の教えは泥洹(ないおん)宮は頭頂葉にあると言っている。泥洹とは有無(うむ)を離れた境ということである。有無を離れるとは、大小遠近彼此の別が無くなるということである。秋風から大小遠近彼此の別を取り去れば「もの悲しさ」が残る。より抜きの出土品の曲玉から大小遠近彼此の別を取り去れば、特有の感銘が残る。

 第2の心は頭頂葉に宿る。この心は第8識、従って前頭葉は第7識である。黄老では第8識を泥洹界と言う。

(※解説14)

 この辺までは主に当時の大脳生理の影響のもと、前頭葉と側頭葉という大脳新皮質でも前半分の領域の解明が中心であったのですが、岡の境地が次第に深まると共に、この辺から神秘的東洋思想への関心の高まりから、頭頂葉と後頭葉という大脳のうしろ半分に解明のメスが入れられていくのです。

 この1969年という年は、心の構造でいうと「第1の心、第2の心」を初めて言い出す年でして、仏教では山崎弁栄の光明主義や、中国思想では胡蘭成の助言を受けて、本格的に東洋思想の核心は何か、また人の心の構造はどうなっているのかを大脳生理学的に追い詰めていくことになるのです。

 しかし、ここではまだ東洋思想と大脳生理の擦り合わせが十分とはいえず、特にここで泥洹界を第8識(潜在識)と位置づけているのですが、後には第9識(悟り識)がその場所であるという風に変わってくるのです。

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