「岡の大脳生理」
【11】人とは何か
曙 1969年4月
この第2の心は大脳の何処に宿っているのだろう。
大脳生理学は大脳を5つの部分に分かっている。
頂上が頭頂葉。
頭頂葉を前に少し下ると運動領、更に下ると前頭葉、これは丁度前額の裏である。
頭頂葉を後ろに下りると後頭葉、横に廻って側頭葉、これは左右2つあるが、連絡がついているから1つの様なものである。更に前に廻ると再び前頭葉である。
第2の心はこの何処に宿っているのだろう。
前頭葉は第1の心の宿る所である。だからここではない。
運動領は全身の運動を司る所である。ここでもない。
後頭葉は「資料室」だという。例えば小林秀雄さんは、ここで選り抜きの出土品の曲玉にじっと眺め入るのである。そうするとその時受ける感銘を奏でる第2の心はここには宿れない。
残りは頭頂葉だけであるが、大脳生理学はここは「受入態勢」の由って来る所だと言っている。ここに宿る(第2の)無私の心がメロディーを奏でるから、第1の心はこれをつぶさにレシーブして、出処進退を決めるのである。それでよい。此処である。
黄老の教えは泥洹(ないおん)宮は頭頂葉にあると言っている。泥洹とは有無(うむ)を離れた境ということである。有無を離れるとは、大小遠近彼此の別が無くなるということである。秋風から大小遠近彼此の別を取り去れば「もの悲しさ」が残る。より抜きの出土品の曲玉から大小遠近彼此の別を取り去れば、特有の感銘が残る。
第2の心は頭頂葉に宿る。この心は第8識、従って前頭葉は第7識である。黄老では第8識を泥洹界と言う。
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