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 2012.10.21 up

岡潔講演録(1)


【4】 情のメカニズム

 こういう情というものがあるのだということを西洋人は知らないのでしょう。この情を魂といっている。

 人にはこういう情というものがある。それが人の本体です。幸福は情が幸福なのであって、道徳は情があるが故にあるのである。明白なことです。

 ところが、こういうことをいった人類は一人もいない。私だってこんなこというのは今年になってからです。そうすると七十年かかっている。一旦分っていってみれば、こんな明白なこと。ところが、それが言葉にいえないらしい。

 戦後日本は情というものを非常に粗末にしている。情が非常に濁っている。多くは自己中心的なもので濁っている。その上ひからびている。これは改めなければいけない。これを改めるには、日本人は情の人だけど、その自覚がない。それを自覚するということが非常に大事です。

 自覚するといえば情の目で見極めること。知や意では自覚できない。大体、「知、知」と知を大事にする。中国人もそうだし、印度人もそうだし、西洋人だってそうです。今の教育なんかもそうだけど、知ということについて少し深く考えてみた人、あるだろうか。私はないだろうと思う。

 知の働きは「わかる」ということですが、そのわかるという面に対して、今の日本人は大抵「理解」するという。ところが、わかるということの一番初歩的なことは、松が松とわかり、竹が竹とわかることでしょう。松が松とわかり、竹が竹とわかるのは一体、理解ですか。全然、理解じゃないでしょう。

 理解というのは、その「ことわり」がわかる。ところが、松が松とわかり、竹が竹とわかるのは理がわかるんではないでしょう。何がわかるのかというと、その「おもむき」がわかるんでしょう。

 松は松の趣をしているから松、竹は竹の趣をしているから竹とわかるんでしょう。趣というのは情の世界のものです。だから、わかるのは最初情的にわかる。情的にわかるから言葉というものが有り得た、形式というものが有り得た。

 それから先が知ですが、その基になる情でわかるということがなかったら、一切が存在しない。人は情の中に住んでいる。あなた方は今ひとつの情の状態の中にいる。その状態は言葉ではいえない。いえないけれども、こんな風な情の状態だということは銘々わかっている。

 言葉ではいえない。教えられたものでもない。しかし、わかっている。これがわかるということです。だから知の根底は情にある。知というものも、その根底まで遡ると情の働きです。

(※ 解説9)

 「こういうことをいった人類は一人もいない」と岡自身が豪語していますが、仏教が唯識論でいう9識を発見して2000年経って、やっと日本人の1人が初めて10識を発見した訳ですから、こういう風に豪語するのも当然かも知れません。以前これを読んだ人が「余りにも大人気ない」といってきましたが、私は敢えて反論しませんでした。

(※ 解説10)

 荒みはてた社会に心の豊かさと潤いを与えるのは「情」なんです。戦後アメリカの真似をして、それを捨て去ったことが今日の日本の荒廃の原因ではないでしょうか。「情の民族」である日本人がそのことに如何に早く気がつくか、これ以外に人類を救う方法はないと岡はいうのです。

 「目覚めてくれ、日本人!」、それが岡の悲願でした。

(※ 解説11)

 ここでは「知」と「情」の関係について詳しく語っています。「知の根底は情にある」、これが岡の結論です。このことは主に岡の専門の数学からわかってきたことで、数学が成立するためには、数学の知的体系を「情」が裏打ちしているからなのです。奇しくもその実例を発見したのはアメリカの若手数学者のポール・コーヘンという人で、そのいきさつは詳しく小林秀雄との対談「人間の建設」の中に書かれています。

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