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2014.11.15up

岡潔講演録(12)


「人類自滅の危機」

【9】 ヒューマニティー

 それから、潜在意識的に頭頂葉を指して、ヒューマニティーという言葉になる。ヒューマニティーという言葉は肉体を連想します。そして何よりも人命が大事だなんていうのはこれです。何よりも人命が大事だなんていった日本人は、明治以前にはなかった。これは運動領を通ったら、そうなる。まだあるだろう、こういう特徴。運動領を通るために出てくる特徴。ともかくヒューマニティー、人命尊重なんて運動領を通るから出て来たんです。

 そんなもの、かわいそうにというのから出て来るんだったら、なんで人を殺しちゃいけないのに、動物は殺してもいいんです。そんな理屈ない。あれは人知の現状では、止むを得んからこらえてくれよとでも言わなくては。そんなもん、動物はみな殺したらいかん。だから慈悲心じゃないんです。そんなもの人は殺しちゃいかんが、動物なら殺してもいいっていうくらい、得て勝手な。決して慈悲心ではない。

 つまり、肉体通るから、そうなる。つまり、人体と関連してヒューマニティーという。そのほかいろいろ、ヒューマニティーって言葉は肉体を連想する。体もそう通りゃしませんが、それを支配している頭を通りゃ同じことです。まだあるかも知れない。

(※解説9)

 この「ヒューマニティー」という言葉も我々日本人には耳触りの良い言葉であるが、岡はその言葉の背後に潜んでいるものの本質を見事に指摘する。

 たとえ言葉は同じであっても、我々日本人と西洋人とでは心の構造や大脳生理が違うから、どうしてもこういうことになるのである。

 西洋人の場合、念は前回りだから頭頂葉から運動領を通って前頭葉に達する。運動領は肉体の体性感覚と意識的運動を司るところだから、その念には「自分のからだ」という感覚がどうしても入ってしまうのである。

 だからここで岡がいうように、「ヒューマニティー」というとその対象は基本的には「人間」以外は含まれないのである。これが西洋の特徴の「人間中心主義」の大脳生理学的根拠であって、旧約聖書の「海の魚と空の鳥と地に動く全ての生き物とを支配せよ」とあるのは、この念の前回りから多分きているのである。

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