「民族の危機」
【3】 自然科学 (〝生命〟の疑問には沈黙)
昭和44年(1969)1月 - 2月
大阪新聞
日本は明治以後、西洋から物質主義を取り入れた。物質主義の代表は自然科学である。
自然科学者は暗黙のうちにこう思っている。はじめに空間というものがある。そのなかに物質というものがある。物質とは、たとえば望遠鏡や顕微鏡を使うといった風なくふうをしてもいいが、最後は肉体に備わった五感でわかるものである。五感でわからないものは存在しないのである。別に時間というものがある。物質は時間とともに変わる。変われば働きが出る。
物質が自然をつくる。その一部が自分の肉体である。肉体とその機能とが自分である。自然科学者は無意識的にこう仮定しているのである。空間や時間、とくに時間とは何かわからないが、それよりも五感でわからないものはないのだという仮定が実にひどい。これは原始人的仮定である。しかもそれを自明だとしか思えないのである。釈尊はこう教えたのである。仏教は五感を閉じて修行せよ。
自然科学者の考えている自然を物質的自然といおう。物質的自然は自然のごく簡単な模型である。この中を科学するのが自然科学であるが、自然科学でわかるものは物質現象の一部分に止まり、生命現象はイロハからわからないのである。
人は生きているから見ようと思えば見える。なぜであるか。自然科学はこれに対して一言も答えられない。人は立とうと思えば、全身四百いくらの筋肉が同時に統一的に働いて立てる。なぜこんなことができるか。自然科学はこれに対しても一言も答えられないのである。
物質現象の一部分といったが、たとえば物質がつねに法則を守って決してそむかないのはなぜかという問いに対しても、自然科学は一言も答えようとしないのである。
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