(※解説4)
この「無差別智(直観)」のことについては、以前に一度概略を説明したのだが、改めてここでもう一度説明してみたい。
書店で並んでいる出版物を見てみると、「直観」といえば大概ただ1種類で、頭に浮んだ「ひらめき(インスピレーション)」のことだと一般に思われているようであるが、岡のいう「直観」は1種類ではなく4種類あって、しかももっと裾野が広く人間活動全般を説明するに不可欠のものである。
先ず、宇宙にあまねく4種類の直観が働いている。この直観は心の世界の宇宙の中心(第9識)から発散されている。我々人間だけでなくあらゆる生物は、この直観を利用することができるから生命現象が成立するのである。
では、なぜ頭の中に「イメージ」が浮かぶのか。宇宙の「大円鏡智」(観念)を使っているからである。読んで字の如く「大きな円い鏡に世界が映る」ように、物体の形や物の構造がわかったり、町並みが頭に浮かんだり、学問の体系がわかるのも全てこの大円鏡智である。スピリチュアルな世界で昔からよくいわれる「千里眼」はこの大円鏡智の根本的な働きである。
では、なぜ「理性」できるのか。宇宙の「平等性智()」を使っているからである。これは「共通で平等に与えられた性質の智」という意味で、数学や将棋や推理小説や科学的論文がわかるのはこの直観によるのである。
仏教は「平等性智が大宇宙を支えている」といっているが、物質や物体があるとしか思えないのもこの直観の働きであるし、心に存在を与えるのもこの直観であって、「これだけは間違いない!」という「自明」がわかることや、確固とした「道徳心」を持てるのもこの直観である。だから非行少年や、岡の嫌う「無節操」や「変節」はこの直観の欠如である。
では、なぜ人は「運動」できるのか。宇宙の「妙観察智()」(認識)を使っているからである。これは「妙なる観察の智」という意味で、この直観はレパートリーが広い。
主に「ものの心」がわかる直観、つまり自分が対象物になり切ることによって対象物を知るという直観であって、「テレパシー」はこの直観の働きということになる。物真似ができたり、人の心理を読んだり、情景の雰囲気がわかるのもこの直観である。だから文学や芸術全般は主にこの直観の働きであって、私にはとても経験がないがよく耳にする「瞬時の空間移動」もこの直観の根本的な働きである。
最後に、なぜ「感覚」できるのか。これは単純な「成所作智()」の働きである。その意味は「各所各所を成立するに作用する智」ということで、我々の日常の感覚的経験ばかりでなく、実験重視の自然科学はこの直観の上に乗っかっているのである。
Back
Next
岡潔講演録(10)民族の危機topへ
岡潔講演録 topへ
|