(※解説21)
女性の裸体画の「あるなし」が東西の絵画の特徴と岡はいうのだが、その他に違いはないのだろうか。西洋の名画といわれる「モナリザ」を見てみよう。その画をよく見てみると、彼女の背後に小さく景色が描かれているのである。これは象徴的なことである。
東洋の山水画では風景の中に添景人物として小さく人を描くのだが、「モナリザ」ではそれが逆になっている。こんなところに東西の世界観の違いがよく現れている。これはつまるところ、西洋の「自我の世界観」からくる人が自然の上位にあるという「人間中心主義」の現れであって、この思想の延長が今世界を覆っている「自然征服主義」となるのである。岡はこれを「邪性」といっている。
もう1つは「遠近法」が使われていることである。静物にしろ風景にしろ、西洋の画は陰影をはっきりと描き立体感を強調しているものが多く、この「遠近法」が正確に使われているのである。これが「時間空間の中に物質がある」という思想であって、これも「自我の世界観」から来ているのである。これを岡は「妄性」といっている。
一方、東洋の画は「遠近法」があいまいで「時空」もはっきりせず、物質を表現する陰影もつけず平板的に描くのが一般である。
こういう描き方は今まで西洋のものに比べて甚だ遅れていると思われてきたのだが、東洋の画は明らかに風景の本質は「物質」にあるのではなく、目には見えない「情緒」にあるのだから、西洋のように「物質」を感覚的に描くのではなく、岡が主張するように「物質」という「映像」を通して「情緒」そのものを描こうとしたものであることが伺い知れるのである。
これが印象派の画家たちが、ジャポニズムといって日本の画に強く惹かれ影響を受けた最大の理由ではないだろうか。例えば浮世絵や大和絵はいうに及ばず、近年では岡が最も高く評価する熊谷守一や、私の絵の会の大野長一(の画にも同じ特徴が見られるのである。
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