「民族の危機」
【22】 知的ルンペン (教育に毒された大学生)
昭和44年(1969)1月 - 2月
大阪新聞
これだけの準備の下に眼前の教育の結果を見てみよう。今のように教育して大学までやるとこんな風になるのである。
知的ルンペンと言った人があるが、当っている。他が知や学を入れてやろうとすると、一々反対の為に反対するから入らない。自分で入れられるかと言うと、前頭葉の発育が不良で、意欲出来ないから、入れられない。(前頭葉は感情、意欲を司る)。
それで知的にいかにひもじくても、ただフラフラしているより仕方がないのである。今のように教育すると結果が悪いと言うことは、今や厳然たる事実である。特に悪い大学生は概して説得の仕様がないという事実は、こうなった原因の大部分は小中学校の教育にあることを示している。
ところがごく少数であるが、例外の小、中学校があるのである。たとえば、三重県の尾鷲小学校、大阪市の北陵中学校、長野県の辰野中学校、及び信州大学付属長野中学校、これ等の学校の児童、生徒は顔付きが非常によく(一般には非常に悪い)、私が話をすると、言うことがすらすらと子供等の心に滲みるのが、表情の動きから私によくわかる。授業を見て廻った学校もあるが、一々そんなことをしなくても、教育がよく行われていることは疑う余地がない。
大きな犠牲を払って実験してみた結果、この二つの厳然たる事実から、次の小、中学校の教育の基本原理をたてることが出来る。小、中学校の教育は、何を教えるかと言うことよりも誰が教えるかと言うことの方が、どれだけ大切かわからない。
実際これ等の小、中学校では、校長が実によく、父母もこれをバックアップ(援護)して、実によい先生達を集めているのである。
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