(※解説26)
男女1人づつの実例を挙げることによって、岡は当時の世相の本質をよくつかんでいる。学生運動や組合運動が猛威をふるっていた当時の姿がここにある。今からすればとても正気の沙汰とは思えないが、これが紛れもない事実だったのである。では何故、日本にこういう弊害が生じたのだろうか。
それは岡がいうように日本は古来「第2の心」の文明圏だったのであるが、そこへ明治以後西洋の「第1の心」の文明が流入してきて、その結果それに全く抵抗力なく「文明かぶれ」してしまったのである。それまで経験のないきらびやかな「物質文明」に、日本人が跳びつくのは無理もないことかも知れない。
そして先ず「第1の心」の資本主義を必然的に取り入れ、次にその反動として同じ「第1の心」の共産主義をその修正型として取り入れようとし、その結果日本人の「第2の心(情の世界)」をすっかり忘れ去ってしまったのである。そして、この男女2人の実例を生む羽目となってしまったのである。
更に戦後でいえば、日本はアメリカと同盟を結んでいるから、アメリカと同じく「自由主義」だと思っている人があるかも知れないが、私から見ればそれは当ってはいないのである。アメリカはいってみれば「第1の心」の自由主義であり、日本はそうではなく「第2の心」の自由主義なのである。
一方、共産主義の方はどうかというと現実を見れば、かってのソ連にしろ今の中国や北朝鮮にしろ「第1の心」の共産主義なのであって、人類の理想である「第2の心」の共産主義といえる国など、いまだかってこの地球上に存在したためしはないのである。
しかし、強いて挙げれば昭和の「1億総中流社会」といわれた日本が、実はそれに最も近いのである。経済的にもよく繁栄し、かつまた他国では仲々難しい資本の分配もうまくいったのであるから。そうすると不完全ながらも、自由主義と共産主義とは図らずも20世紀の日本において合流したことになる。これは経済学者、ドラッカーの指摘するところでもある。
それは何故かというと、もうお気づきのことと思う。それは日本人は自由主義といわず共産主義といわず、常に「第2の心(情の世界)」に住んでいるのであって、その「第2の心」が両体制にうまく作用したからである。実はこれが「クール・ジャパン」の根拠でもある。
ただ問題なのは残念ながら、日本人はその「第2の心」の「情の世界」が自らの心の中に潜在的に働いていることを全く自覚せず、岡が指摘しているにも拘らずいまだに気がつかないことである。このことに何とか早く気づいて欲しいというのが我々の切なる願いであって、これは時間との戦いなのである。
ともあれ今までの要点をいえば、今社会で議論されているように自由主義か共産主義かが問題なのではなく、「第1の心」か「第2の心」かがこれからの人類にとって非常に重要な問題となるのである。これが巷でよくいわれている「アセンション(次元上昇)」の意味するところであり、21世紀以降の社会体制の「大枠」となる筈である。
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