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2014.06.11up

岡潔講演録(10)


「民族の危機」

【26】ソビエットが祖国 (治せぬひどい〝偏執狂〟)

昭和44年(1969)1月 - 2月

大阪新聞

 今や現在の、特に小中学校の教育が、如何に悪い教育であって、こんな悪い教育をすれば、こんな大学生が出来るのが当然であるということが明白になったと思う。その上日教組の先生達は、共産主義の無血革命を計画して、その意図のもとに教えているのだから結果は尚悪い。

 私は鹿児島へ講演に行った帰りに特急かもめに乗って、食堂車へ入った。ウェイトレスのサービスが非常に悪い。横のテーブルの人達が、かもめのウェイトレスだけは特別です。まるで郵便局でスタンプを押すようですと言ったが、成程年ごろの娘さんだと言うのにニコリともしない。私は驚いて出身地を尋ねてみると京都と博多だと言うことであった。

 欠点を言っては嫌悪感ばかり煽っていると、情緒と言う養分が欠乏するから、大脳頭頂葉は発育不良になるのである。これは治せないだろう。(年頃の娘さんがニコリとするのは情緒の発露である。だから頭頂葉の働きである。)こう言う娘さん達の将来の幸福は考えられない。これはゆゆしい人道問題である。

 私は奈良に住んでいるのだが、某新聞奈良支局長の甥御さんが激しい共産主義になった。マルクス、レーニンを神の如く敬い、ソビエットを祖国と思い、日本民族をソビエット人にすることを皆んなの幸福ときめてかかって他の考えを受け入れない。自分は自分のことなんか考えない、皆んなの幸福のためのみを思っているのであると言うのだそうである。

 これは偏執狂であって、一寸真我に似ているが真我ではない。(ひと)は真我に取っては非自非他である。他の個性や主宰性を尊重しなければならないから非自である。他の喜びや悲しみは自分の喜び、悲しみであるから非他である。

 この甥御さんは他の尊重すべき独自性を知らないのである。だから偏執狂である。これは頭頂葉が(けが)れている為起こる現象であって、こんなにひどいのは治せないと思う。

(※解説26)

 男女1人づつの実例を挙げることによって、岡は当時の世相の本質をよくつかんでいる。学生運動や組合運動が猛威をふるっていた当時の姿がここにある。今からすればとても正気の沙汰とは思えないが、これが紛れもない事実だったのである。では何故、日本にこういう弊害が生じたのだろうか。

 それは岡がいうように日本は古来「第2の心」の文明圏だったのであるが、そこへ明治以後西洋の「第1の心」の文明が流入してきて、その結果それに全く抵抗力なく「文明かぶれ」してしまったのである。それまで経験のないきらびやかな「物質文明」に、日本人が跳びつくのは無理もないことかも知れない。

 そして先ず「第1の心」の資本主義を必然的に取り入れ、次にその反動として同じ「第1の心」の共産主義をその修正型として取り入れようとし、その結果日本人の「第2の心(情の世界)」をすっかり忘れ去ってしまったのである。そして、この男女2人の実例を生む羽目となってしまったのである。

 更に戦後でいえば、日本はアメリカと同盟を結んでいるから、アメリカと同じく「自由主義」だと思っている人があるかも知れないが、私から見ればそれは当ってはいないのである。アメリカはいってみれば「第1の心」の自由主義であり、日本はそうではなく「第2の心」の自由主義なのである。

 一方、共産主義の方はどうかというと現実を見れば、かってのソ連にしろ今の中国や北朝鮮にしろ「第1の心」の共産主義なのであって、人類の理想である「第2の心」の共産主義といえる国など、いまだかってこの地球上に存在したためしはないのである。

 しかし、強いて挙げれば昭和の「1億総中流社会」といわれた日本が、実はそれに最も近いのである。経済的にもよく繁栄し、かつまた他国では仲々難しい資本の分配もうまくいったのであるから。そうすると不完全ながらも、自由主義と共産主義とは図らずも20世紀の日本において合流したことになる。これは経済学者、ドラッカーの指摘するところでもある。

 それは何故かというと、もうお気づきのことと思う。それは日本人は自由主義といわず共産主義といわず、常に「第2の心(情の世界)」に住んでいるのであって、その「第2の心」が両体制にうまく作用したからである。実はこれが「クール・ジャパン」の根拠でもある。

 ただ問題なのは残念ながら、日本人はその「第2の心」の「情の世界」が自らの心の中に潜在的に働いていることを全く自覚せず、岡が指摘しているにも拘らずいまだに気がつかないことである。このことに何とか早く気づいて欲しいというのが我々の切なる願いであって、これは時間との戦いなのである。

 ともあれ今までの要点をいえば、今社会で議論されているように自由主義か共産主義かが問題なのではなく、「第1の心」か「第2の心」かがこれからの人類にとって非常に重要な問題となるのである。これが巷でよくいわれている「アセンション(次元上昇)」の意味するところであり、21世紀以降の社会体制の「大枠」となる筈である。

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