「自然科学は間違っている」(2)
【2】 科学の破壊力
「新潮」 昭和40年(1965)10月
私、自然科学はろくなことをしていないと思いますが、そのなかでごくわずかですが、人類の福祉に貢献したということのうちで、進化論、つまり、人は単細胞から20億年かかってここまで進化してきたのだということを教えているということは、その1つに数えられます。たいへん意義あることだと思うのです。このごろの人のやり方を見ておりますと、そういう崇高な人類史にたいする謙虚な心がありません。
コッホがコレラの原虫を発見した。これはすがすがしい科学の夜明けでしたが、それから第1次世界大戦で人類始まって以来の世界的規模の戦争を始めるまで、破壊力が科学によって用意されるまでに、たった30年しかかかっていないのです。それから長いようでもまだ50年しかたっていない。アインシュタインが相対性理論を出しましてから、それが理論物理の始まりですが、原子爆弾が実際に広島に落ちるまで25年しかかかっていない。すべて悪いことができあがるのがあまりに早すぎる。
人類は単細胞から始まって、いまの辺りまできては自分で自分を滅ぼしてしまう。また新しく始めてはいつの日か自分で自分を滅ぼしてしまう。そういうことを繰り返し繰り返しやっているのじゃなかろうか。自然を見てみますと、草は種からはえては大きくなって、花が咲いて実ができたら枯れてしまう。またその実から芽を出して、繰り返し繰り返しやっておりますが、これはまったく同じことを繰り返しているのではなくて、こうしているうちに少しずつ、なぜか知りませんが、進化している。
この草の1年に相当するのが人の20億年で、これを繰り返してやっておれば、しまいにはこの線が越えられるかも知れない。木馬にたとえますと、飛びそこなってはまた助走をつけて走りなおし、また失敗してはやりなおししているうちに、だんだん上手になって、とうとう木馬が飛び越えられるというふうになる。
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