(※解説4)
先程のニュートンとアインシュタインの「時間」に対して、岡はここで「時」という岡独自の概念を持ち出している。
私は以前、友人の物理学者の小原實晃(おはらみつあき)さんにニュートンとアインシュタインの「時間」について尋ねたところ、小原さんは「ニュートンは相対時間、アインシュタインは絶対時間」といえば分かりやすいのではないかと教えてくれた。
それでいくと岡のいう「時」とは、先の2つの「時間」を質的に遥かに越えた「超越時間」といえば良いのではないでしょうか。
先の2つの「時間」とは物理空間の中にある肉体の中の自我意識が感じる計量できる「時間」であり、岡のいう「時」とはその肉体を超越した、いわゆる「こころ」が感じる「過去、現在、未来」のことです。だから岡は「時間(時)は情緒に近いのです」といったのでしょう。
因みに、岡はニュートンが唱えた「時間」というものをどう定義しているかというと、「過去」のもつ「時は過ぎ去る」という属性を観念化、形式化、数値化しただけのものであるといっている。
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