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2014.07.01up

岡潔講演録(11)


「自然科学は間違っている」(4)

【4】 無知のこわさ

 結局、自然は刹那生滅だと云うことになると、欧米の学問は全て自然科学がもとになっているので、基礎的な価値を持ったものは何1つないことになる。

 同時に、人類はずいぶんいろいろ知っていると思っていただろうが、自然が刹那生滅だと云うことになるとほとんど何も知らない、完全な無知とほとんど変わらないと云うことになってしまう。

 非常に広々としたところへ出て行ったような気がする。今まで東洋の大先達は心が基だと云い続けて来たが、これをばかにしてまるで聞かなかった。だから、これを改めて、真新しい知・情・意を持って、東洋の大先達の云ったところに耳を傾けなければならない。そうでなければ何も知らないことになる。

 何が何だか分かりもせずに機械を使って工業的生産力世界第3位だと云って威張ってみたところで、それがつまりどう云う意味になるのか全く分からない。

 自然は刹那生滅であると云った人は大正9年に亡くなった山崎弁栄上人である。弁栄上人はまたお浄土も刹那生滅であると云っておられる。

(※解説4)

 常識的に考えて、自分が正しいと思い込んでいる人程、危ないものはない。そうすると今大概の人は自然科学に従って、人は全知全能と思っているように見えるのだが、人は本当に全知全能なのか、はたまたその逆の無知無能なのか。

 今は本腰を入れて各自がそれを考えるべき時であり、それが自ら判断出来なければ、人類は本当に本当に危ないのである。

 先の岡潔講演録(5)の「人とは何かの発見」で「人類の思い上がり」について触れたのだが、今人類の暴走が止まらないのである。

 その原因は人の「欲望」の肥大化なのか、「刺激」の飽くなき追求なのか、自然征服の「意志」の爆発なのか。これらは全て「第1の心」の要素であるが、このままでは誰が見ても人類には「自滅の道」しか残されていないように見える。

 自らを止めようと思っても止まらないのが、今の人類の本当の姿なのである。これは岡がよく指摘する「自己抑止」の欠如であるが、このブレーキの回復は人類が自らを「無知無能」と知ったところから始まるのであって、人は消えいるばかりに「謙虚」にならなければ真実は見えてこないのである。

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