okakiyoshi-800i.jpeg
2023.06.07up

岡潔講演録(30)


「岡潔先生と語る 」(2)- 西洋文明の限界 -

【14】 キリスト教の愛と第二の心

 (男性)有島武郎に「惜みなく愛は奪う」という小説がありますが、あの愛の精神を、どうご批判されますか。

 (岡)有島武郎の云ってる愛というのは ― わたし有島武郎あまり読んでませんけど ― 多分第一の心でしょう。

 (男性)その中で、愛の観念とは、どう解釈されますか。

 (岡)西洋人の云う愛と云えば「愛憎」ですね。一方の端が愛であり、他方の端が憎しみであると、それがずっと続いてる、そういう感情が愛情。それを愛と云ってるんですね。これは第一の心の働きです。

 (男性)じゃあ、その中で人を愛するとはどういうことですか。

 (岡)大体明治以後の日本人には、西洋かぶれした者が多かったですから、有島武郎もそうでしょう。大体日本の小説と云えば、西洋の小説を学んだものです。学問は西洋の学問を学んだものです。だから学者とか文士とかには西洋かぶれした人が多いんですね。有島武郎の云う愛とは西洋人の云う愛、第一の心の働きだと思います。有島武郎のもの、読んでいませんが ― 少しは読んだかもしれないが ― あまり読んでいませんが、そんなふうに感じます。

 (男性)キリストの云いました「隣人を愛せよ」と云う言葉についてですが・・・

 (岡)あれは欧米人に教えたんです。他(ひと)は他人だけれども愛せよと教えたんです。方便ですね。

 (男性)で、自我というものは、そこへどう・・・

 (岡)(ひと)(ひと)ではなく大いなるお前である、そう教えなきゃいけないし、また第二の心がよく働いておれば、自ずから懐かしいという情緒がよく働いて、他人という気はしないんです。

 (男性)それをね、有島武郎は愛の中に自分を投影する訳ですね。

 (岡)ええ、有島武郎の云ってる愛というのは西洋人のいう愛だと思います。

 (男性)有島武郎はキリスト教の愛の精神から出発していると思うんですが、隣人を愛することによって、隣人の心の中に自我というものを深く見極めて、その自我から出発せよと書いているんですけどね。

 (岡)自我から出発したら間違いですね。

 (男性)それじゃ彼は偽善者だと云うことですか。

 (岡)ええ、西洋かぶれして東洋が昔から教えてることを知らないんでしょう。自我から出発できゃしません。

 (男性)じゃあ人を愛するとはどういうことですか。

 (岡)大体、人を愛するっちゅうのは西洋の言葉ですよ。だけど東洋流に正しくとるなら、人を他人とは思わない。人を他人としか思えないのが小我です。それがいけない。

 (司会)先生、今愛についての質問が出ましたのでそれに関連してですけれど、結局第二の心に目覚めなきゃ東洋的な本当の愛というものは無いと云うことになる訳ですね。

 (岡)ええ。

 (司会)そうしますと、第二の心に目覚める一番いい方法と云うのは、どういうことになるのでしょうか。

 (岡)日本民族を自分だと思うのが一番早いでしょうね。日本人なら日本民族を自分だと思うことが一番早いでしょう。歴史をみましても、皆そのやり方をしてるようです。仏教で教えてるいろんな方法は個人的な修行。これに反して日本民族を自分だと思うのは集団的な修行。幸い日本民族に生まれてるんだったら、日本民族を自分だと思うのが一番早く小我を離れることが出来る道だと思います。

 (司会)どうでしょうか、その辺に関しまして何か、もう少しとか云うようなことございましたら。第二の心に目覚める為には、日本民族を自分と思うようになれ、と云うことですけれども。

 (男性)実例を一つ云うてみようか。こういうことがあるんですね。私の住んでいる所は藤原宮跡で、奈良県で一番車の停滞している所、まるで箱根の嶮みたいなんですね、車で来る人には。停滞しとって動かんのですね。と云うのは、私の村の北側を走っている時はまだいいんだけれども、八木へ入って来ると、とたんに道が狭くなるんですな。それでバイパス作ろうと、国も県も市も考えとる訳です。ところが私の村の人はどう云うかと云うと、八木の人さえ家を切ったらもうちょっとましになるじゃないかと。そうはなりませんけどね、もう一本大きな道をつけないと。ところが道が狭くなっている所の八木の人が仇のように見えるねん、村の人にはね。そう見て来た。だけどもこういう言葉が出てきたんですよ。八木も醍醐も ― 私は醍醐ですが ― 一緒じゃないかと、人の難儀してるのはやっぱりこれは見てられんじゃないかと。そういう気持ちが出てきますとね、今まで固うなって何とかかんとか云ってた人が、どこやらへスーッと消えていったようだったですね。

 それは日本民族と云う大きな言葉じゃないけれども、やっぱり大勢の人々の気持と一緒になるような気持が出てきた時には、道をつけてもいいじゃないかという気持が出てきたことは事実です。自分の都合だけを見てると、相手方が憎くなって腹立つんですな。広く考えるようになると、シューッとそういう今までの憎しみっていうような気持が薄らいで来ましたね。

 まあ、それくらいのことですが、八木の端から端まで一キロ位の所を、二十分も三十分もかかると云うような状態を、黙って見ているような、面白いなあと思って見てるような人は、自分の村に居てもらいとうないわ、云うて私云うたんです。もっとそういう人達の苦しみがわかる人間であるはずやと、醍醐の人は。と云ったら、わかって来たですね。

 (岡)欧米の真似はいけない。個人主義は間違ってるんです。あれを取り入れてはいけないんです。

 (男性)その点をつくと、やっぱりわかりますなあ。

 (女性)そしたらね、岡先生は西洋人のことは他人と思われないんですか。

 (岡)ええ。

 (女性)やっぱり思われないんですか。

 (岡)ええ。

 (女性)大いなる自分と思われる訳ですか。

 (岡)ええ。

Back    Next


岡潔講演録(30):「岡潔先生と語る」(2) - 西洋文明の限界 - topへ


岡潔講演録 topへ