「岡潔先生と語る 」(2)- 西洋文明の限界 -
【15】 育児その二
(男性)私に二才半と半年くらいのと二人子供がいるんですが、うえの方の子なんですけれども。小さい方の子供に玩具なんかを与えた場合に、これも自分のものだと云う、いわゆる自我というんですか、そういうものが出て来ているように感じるんです。それで云って聞かせますと、時には小さい方の子に玩具をわけ与えてともに喜んで遊んでいる場合もありますが、なかなか聞かない場合もある訳です。
この前先生にお聞きした時に、三つ位までは何も云わない方がよいと、そうお聞きしたんですけれど、私の気持としては、小さいのだから出来るだけ小さい方を大切にしなきゃいかんというので、うえの子を云い含めるようにしているんですが、二歳半位の子供に何回も云い含めるというようなことをしてよいものかどうか、それがお伺いしたいんですが。
(岡)自己中心をやかましく抑えなきゃならんのは数え年五つからですね。それまでは自分と他との区別がよくつかないのだから仕方ないだろうと思う。子供がうまく育ってる場合は、心の世界に住んでるという気がしますが、それがなんかそこから迷いでるように感じられることがある。そうするともう間違ってるんですね。それは第一の心の世界へ迷いでてる訳なんです。なんとなく心の世界から迷いでるという感じがしますよ。第二の心の世界は不一不二の世界といって、自分と他()とは一つではないが二つでもない。そういう世界ですね。なんとなく和やかなんですね。
(男性)そういった場合、うえの子がしたの子に物を与えた場合にほめてやると、そういう形で私自身はやってる訳なんですけど。
(岡)ええ、第二の心の世界を離れると、とげとげしいようなところが出て来るんです。第二の心の世界に住んでると、自分と他()とは全く融合してるんですね。学校なんかへ行って、友達から悪いことを教わって見習って帰って来ると、しばらくして気付くと、いけなくなったなあっていう気がしますよ。その時に心の世界から迷いでたという感じがひしひしとします。だから注意してりゃわかるんです。
(男性)そうしますと、矢張り数え年五つ位まではそのままにして・・・
(岡)してよいんですね。
(男性)よいんですね。
(岡)ええ。
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